空手やキックボクシングを学ぶとき、
「正しいパンチ」「正しい蹴り」などの言葉を聞くことがありますね。
例えば、正しいパンチの打ち方って、何でしょう?
パンチの打ち方1つとっても、そこには色々な考え方があり、色々な技術があります。
顔を打つパンチとボディを打つパンチは違います。
同じ顔面パンチでも、間合いが10cm違えば、打ち方が変わります。
「よそはどうか知らないけど、うちではこれが正しいパンチです。」
そういう教え方をする指導者がいます。
しかし、それは単なる思考停止でしかありません。
そういう教え方をする指導者には、そうする理由があります。
正しいことにしておけば、あとはもう考えなくていいからです。
それさえできれば、指導者という立場を守れるからです。
自分が思考停止状態だから、練習生も思考停止してくれなきゃ困るからです。
わたし自身は、5年前とはまったく異なるパンチの打ち方をしています。
蹴りもディフェンス技術も随分と変わりましたが、今が正しいとは思っていません。
だから今、あの頃に教えていた練習生にパンチなどを教えたら、「以前言っていた事とぜんぜん違うことを言っている」と言われるでしょう。
それでいいと思っています。
指導する立場の人間が、変化すること、進化することを諦めてしまったらダメなんです。
それは、強くなり続けなきゃダメだということではありません。
いろいろな技術を学び、吸収しながら、自分の頭で考えて、思考を進化させましょうと言うことです。
若い選手は肉体と技術を進化させて、どんどん強くなっていきます。
それに答えるためには、指導者も、教え方を進化させていかなければならないと思います。
極真空手を作り上げた偉大な空手家 大山倍達総裁は、1994年、70才で亡くなるまでこう言っていました。
私は未だに疑問に思うよ。
この正拳の握り方が正しいのか、いつも考えている。